ども、くろっくです。
最近ランニングマシーンを始めました。
辛さを紛らわすためにテレビを付けてるんですが・・・話題は五輪一色です。
しかしTwitterのタイムラインを見ていると、ほとんど五輪の話題は出ません。
テレビとTwitterの五輪熱気が乖離しすぎている。非常に違和感を感じています。
なぜこういう現象が起こるか?というと・・・
・中高年層=昔からの慣習で五輪を見る体質になっている
上のような仮説が成り立ちます。
若い人の多くは五輪なんて見てないと思います。
本当に五輪に興味があるならば、Twitterでも五輪の話題で溢れかえるはずです。
これがワールドカップやWBCだとタイムラインは熱気に包まれるでしょう。
五輪を見ているのは中高年の人たちでしょう。
たぶん昔からの慣習で見ているんだと思います。あの「五輪独特の雰囲気」に参加できるってのもあるでしょうし。
テレビが五輪を推してくるのも、この層によって視聴率が獲れるからかもしれません。
もし上の仮説が正しいとすれば、若者の五輪離れということになりますね。
では、なぜ五輪は若者に支持されないのか?
上3つの理由によって、若者の五輪離れが引き起こされていると思います。
①娯楽性の欠如
五輪の競技の多くは、「タイムを競う」ものです。
(特に冬季五輪はこの手の種目が多い。夏季五輪ならば柔道やバレーボールなど色々あるが。)
この手の競技はハッキリ言って、非常に淡泊であり娯楽性に欠けると思います。
200m走で何秒出すか?ジャンプで何m飛ぶか?
普通に考えて、こんなモノを見ても面白いわけが無いです。
「この選手のタイムが見たい!」と思えるのは、ウサインボルトのような超傑出した選手だけです。
逆に言うと、ボルトの9.58秒を更新する可能性が無い限りは観客に刺さらないという事にもなります。
見てても面白くないんだから、若い人が興味が魅かれないのも至って当然な話です。
そもそも観衆にとっては、結果としての勝ち負けというのは大して重要ではないんですよ。(その選手orチームの熱狂的なファンで無い限り)
試合の道中での娯楽性こそが最重要なわけです。
「あの8回裏のファインプレーは痺れたよな~」とか「2Rでダウンを奪われた時は焦ったよな~」とか。
単にタイムを測定するだけの競技では、結果としての数字だけしか目に見えないですからね。
観客はタイムの良し悪しを見たいのではなくて、「強い数字を出すためにどう立ち回るのか?」が見たいわけですよ。
でも競技を見てみれば、1本飛んで計測して終わり。もう1本飛んで計測して終わり。
こんなクソ競技を見てて面白いですかね?
②選手(orチーム)の格付けが分からない
33年生きてきましたが、スポーツ観戦を楽しむためには絶対的条件があるように感じます。
「どの選手はどの程度凄いのか?」「どのチームはどの程度強いのか?」を熟知しておくことです。
つまりは、自分の中での選手の格付け(=指数化)です。
これ出来ていないと、「スポーツを見ても楽しめるわけがない!」と感じます。
PRIDEの場合
PRIDE番付 | |
---|---|
横綱 | ヒョードル |
大関 | ミルコ ノゲイラ |
関脇 | ハリトーノフ バーネット |
小結 | ハント シュルト アレキサンダー |
前頭筆頭 | ヒーリング |
前頭2枚目 | コールマン |
前頭3枚目 | 藤田 |
前頭4枚目 | ボブチャンチン |
前頭10枚目 | ランデルマン |
上は、昔あったPRIDEの脳内選手格付けです。あの時代の格闘技ブームは本当に楽しかったですね~。
なぜ僕がPRIDEを楽しめたか?というと、自分の中で選手格付けが出来ていたからです。
もちろんPRIDEそのものが娯楽として非常に良く出来たというのもありますよ。
しかし、選手格付けが出来ていない人がいきなりPRIDEを見たところで本当に楽しめるか?と疑問も感じます。
例えば、ランデルマンがミルコから奪った大金星。
ここで重要なのは、2人の選手格付けが出来ていないと衝撃が伝わりづらいと思うんですよね。
何も知らない人が見ても「あのミルコって選手が弱いだけなのでは?」と感じるのではないでしょうか?
あるいは、藤田がヒョードルをあと一歩まで追い詰めたシーン。
結果的には藤田は逆転負けするんだけど、あの1発のパンチは格下相手の試合で100連勝する事よりも価値があるわけです。
何も知らない人が見ても「あそこから逆転されるなんて。藤田はだらしない!」と映るのではないでしょうか?
サッカーの場合
ワールドカップ番付 | |
---|---|
横綱 | ドイツ |
大関 | ブラジル アルゼンチン スペイン |
関脇 | オランダ |
小結 | イタリア フランス |
前頭筆頭 | ポルトガル |
前頭2枚目 | コロンビア |
前頭3枚目 | イングランド |
前頭4枚目 | ベルギー |
前頭20枚目 | 日本 |
ワールドカップも「どのチームはどの程度強いのか?」を知ってるからこそ楽しめるものです。
ぶっちゃけ僕はサッカーは好きじゃないし、特に面白いとも思いません。
ここで重要なのは・・・「競技自体がつまらない」と感じている人間ですら、チーム格付けさえ出来ていれば楽しめちゃうわけですよ。
なんというか「この大会で勢力地図がどのくらい変わるのかな?」という事そのものが娯楽として機能している面があるわけです。
五輪の場合
フィギュアや柔道のようなメジャー競技を除けば、選手格付けが分からない競技が大半でしょう。
こんな状態では、観戦しても楽しめるわけがないです。
例えば、スキージャンプの葛西紀明選手。
45歳でオリンピック出場を果たすという偉業を成し遂げているわけだが・・・
45歳で日本代表に選出される葛西がスゴイのか?
それとも、45歳に代表枠を奪われる日本の選手層がヒドイのか?
どっちなのかが分からないので、あまりピンとこないんですよ。
③ルールやセオリーが分からない
五輪には「そもそもルールやセオリーが分からない!」というマイナーな競技も多いです。
選手やチームの格付けどうこう以前の話です。
例えばフェンシングという競技がありますが、ルールを知ってる人がどの程度いるんだ?という話です。
ルールが分からないのならば見ても楽しいわけがないです。
というか、ルールも分からずにスポーツ観戦するという事がそもそも不自然な行為です。
WBCの時とか「野球をよく知らないけど日本を応援する」なんて人もいますが非常に違和感を感じます。見てて本当に楽しいんですか?という話で。
競技のセオリーも知っておかないと楽しめません。
「この局面は普通ならこう戦う」という事を知らなければ、奇策に打って出た時のサプライズが伝わりません。
例えば、WBC台湾戦。9回2死での鳥谷の盗塁。
「普通はこの局面で盗塁なんてできない」というセオリーを知っておかないと、走った鳥谷の勇気は伝わらないはずです。
まとめ
僕は、WBCの時は必死で日本を応援してます。
なぜ野球日本代表を応援するか?というと・・・
日本の野球(=NPB)が大好きだし、日本の野球選手が大好きだからです。
ゆえに、最低でも準決勝までは進んでもらわないと日本の野球が全否定されるわけ。
だからこそ必死で応援できますし、ピンチで三振を取ろうものなら嬉しさのあまり声が出るわけです。
これほど楽しい娯楽は無いですよ。
ただ五輪に関しては別です。
競技そのものに興味がないですし、ゆえに選手のことも良く知らないので愛着も持てません。
「最初から五輪なんて見ねーよ」というのは至って自然だと思います。
そして、こう考えているのは僕だけではないはずです。
若い人の大半は五輪なんて興味がありません。Twitterの熱気をみれば一目瞭然です。
唯一、若い人も興味を持ってるのはフィギュアスケートだけでしょう。
ひと昔前までは、「五輪の時は皆で日本代表を応援する」というのが普通だったかもしれません。
しかし時代が流れれば、国民の価値観は変わっていきます。
繰り返しますが、若い人の多くは五輪なんて興味がないんですよ!
結論としては・・・五輪はオワコン
では、ここらへんで。
結局マイナー競技ばかりゆえに日頃メディアに扱われてないため、日本人に親近感や知識がないんですよね、特に冬季オリンピックは。だから話のあらすじ説明されないまま、いきなりオリンピックという物語のクライマックスだけ見せられている、みたいなちんぷんかんぷん感が視聴者にあるというw
もうちょっと国全体でマイナー競技を日頃から特集して、世間の人に知ってもらい、浸透させてくような動きないと日本のオリンピック競技は確かにオワコンですね。自分はサッカーも野球も好きなんで、スポーツ観戦自体は面白いと思うからちょっと残念ですねー
仰るとおり、冬季五輪の競技は親近感も知識もないんですよね。フィギュアだけは別格ですが。
今までの世代は「良く分からないけど五輪は見とくか」という価値観を持っていましたが、これからの世代はそうはいかなくなってくるでしょうね。
いや、もはやサッカーにすら30代くらいまで関心ないぞ。スポーツ観戦に関心持つこと自体が、昭和のテレビしか娯楽がなかったときの名残なんよね。
サッカーは生き残るだろうが、それ以外のプロ競技は5年以内に絶滅するだろう。
赤の他人が、どんな活躍をしても、ああそうよかったねって感じにしかならないのと同じ・・・
全く興味がわかない
わくのは国税が大量に使われ、癒着業者や天下りに金が流れるといううざい事実だけ・・・
私も興味無いです。他国で競い合う理由もよく分からないです。
他人の見るより自分でスポーツする方が好き。そっちの方が健康にもいい。
別にオリンピックやめろとかも無いです。好きでやってるんだなぁくらい。
色んな意味で五輪は賞味期限切れだと思います。そして今回の意図的とも言える森会長下ろし。
世界の歪んだ思惑に日本の左翼と無責任層が乗っかり、見事に思惑通りの結果になってしまいました。
(森会長が好きな訳でも嫌いな訳でもないです)
そういった意味でも世間の関心的にも国際機関などが総じて存在意義が消え失せているのと同じようにオリンピックも既にアスリートや観客などを抜きにした利権やら何やらの為だけに存在しているのは明白ですし、そろそろそういった存在が限界がくる時期なのだと思います。
「子供達に夢を」とか、「平和の祭典」とか変な枕言葉をつけているが、単なる金儲けがバレバレ。